30代の頃、働いていた職場で「常に」考えていたこと。

こんな「ジジイ」にはなりたくない。

当時、働いていた職場に50代の「ジジイ」がたくさんいた。

その「ジジイ」たちは、決まってこのような話をしてくる。

過去の自分はこれだけ凄かった。

  • 全職場では、課長だった
  • 前会社では、専務だった
  • 昔は経営者だった

私は、その話を聞くたびにこのような返答を「躊躇なく」していた。

でも、今はこれですよね?

  • もちろん、「ジジイ」たちは顔をしかめた。
  • 生意気な小僧という目で私を見た。
  • 「何を偉そうに・・・」という目で応戦してきた。

でも、私は、心の中でこんなことを思っていた。

現実、そうですよね。

つまり、昔がどうだとか、前職場では偉かったという話は「過去」に過ぎず、現実「今」はどうなのか?という話なのである。

もし、素晴らしい過去があるのであれば、その経験を活かし、「今」を変えるために「今」を我慢しているという理屈なら筋は通る。

しかし、過去を自慢し、私に対してマウントを取ろうとする人間はすでに棺桶に足を突っ込んでいるとまで感じていた。

もちろん、過去の実績を自慢する人間ばかりではなかった。

中には、自分の過去を一切しゃべらず、
黙々と作業し、空気的な存在に徹する人もいた。

この記事で私が言いたいことは・・・

非手本は目の前にいた。
・・・ということ。

なりたくない30代の自分が50代で仕事をしていたということ。

最後に。

人間という生き物。

それは、他人に依存し、他人から影響を受け、他人の人生を模範するようにできている。

他人と異なる人生を歩みたいという「欲」は、例え目標とする人物にたどり着いたとしても、また新たな「欲」が生まれることから常に「再生」し続けることが分かる。

だから、常に人間は「自己否定」し続け、求める答えにたどり着くまで自己投資しなければならない。自己投資し続けるプロセスに生きているという実感を抱くことで人生が楽しくなるのである。