これは、将棋の故大山康晴名人のエピソードです。

冬のある日、将棋会館で部屋の出口の近くで若手棋士たちが「詰め将棋」をやっていたそうです。 その詰め将棋は極めて難しいものであり、天才的な資質を持って修練に励んでいる若手棋士たちが集まっても、なかなか解けないものでした。

このとき、大山名人は用事を終え、コートを着ながら、その横を通り過ぎましたが、出口のところで振り返って「諸君、お先に」と挨拶をし、「ああ、その手は何手目で、何で詰むよ」と一言つけ加えました。

驚いた若手棋士たちが、その後、詰め将棋を解いたところ、果たして言葉通りになったのです。そこで、感銘を受けた若手棋士の一人が、後日、大山名人に聞きました。 「先生は、あの何百通りの手を、あの入口まで歩む数秒間に、すべて読まれたのですか?」 「いや、手を読んだのではないよ。大局観だよ」と答えたそうです。

私は、約10年前にこの大山康晴名人のエピソードを知りました。

そして、大山康晴名人やこのエピソードに纏わること、ワードを調べ上げ
あることに気が付くことが出来ました。

もちろん、大山康晴名人のように出来た!と言いたいわけではなく
また、偉そうに極めた!というつもりもありません。

ただただ、近づきたい・・・

そんな思いから調べ上げたんです。

すると、

調べ上げる中で大山康晴名人の「大局観」を
「何となく」理解できるようになってきた「ような」気がしてきたんです。

ここで大事なのは・・・

「ような」という部分。

これを洞察というのですが、
「ような」を手に入れることで
なんとなく前進していく自分が分かるようになるのです。

その結果、私はこのような大局観を手に入れられるようになったのです。

3秒でそのブログの著者は
本物か?偽物か?分かる。

つまり、ネットジャングルに眠っているブログを3秒見ればその著者が本当に稼いでいるのか?嘘をついているのか?分かるようになったのです。

また、稼ぎ方が理想とするものなのか?
大衆を相手にしているのか?

さらに、その著者自身がなにをどんな風に魅せ商品を売ろうとしているのか?

分かるようになったのです。

分かるようになってからの自分は覚醒しました。

覚醒して理想を現実にすることが出来るようになりました。

人間にはホンネと建前がある中で、
どこでホンネを出しそれを表現し魅せていくのか?

非常に大事なことなんです。

しかし、多くの人はこの大事なことをやらない。

やりたいと思っていても踏み出す勇気が持てない。

勇気というのは知識である程度解決します。

つまり、知識があれば踏み出せるということなのです。

しかし、知識をつけるというプロセスの流れを知っているのにも関わらず、
行動に移さない・・・それは、人生を諦めているということ。

例え、40歳を過ぎお腹が出てきても「周りがそうである」から
諦めてしまう。

どんな人間でも最後に死ぬのにも関わらず、
挑戦しない人があまりにも多いというこの世。

もちろん、私のこの考えを理解してほしいとは言わないが、
大局観を身につけることである程度の「事」は理解でき、
見えるようになってくる。

そうなれば、何をしてどんな行動を起こせば人生が好転するかなんて分かるようになる。

そう、未来は螺旋階段なんだから。