我慢=強い自己意識から起こす慢心のこと。

奔放=常識や規範にとらわれないで、自分の思うままに振る舞うこと。

決められたレールを歩くことが「我慢」であるならば、私は「奔放」して生きていく人生を選ぶ。

なぜなら、1回きりの人生だから。

我慢して人生を歩み、病気して入院し歩けなくなることを想定した場合、我慢したことが果たして「後悔」つながらないのか?

それを「しょうがない」で片付けられるのか?

誰もが最後には死にます。

そして、誰もが事実を知らずに、情報も知らずに無知のまま、他の模範で生きることでそれが正解だと思い込み人生を歩み続けます。

最終的に歩けなくなっても「知らなければ」人生に悔いなしと片付け、あたかも真っ当に後悔せずに生きたかのように処理します。

私は、それが嫌で今があります。

例え、「奔放」と言われても、学生時代の「何をしても楽しい毎日」を送るために生きることを決意しました。

多くの人は、学生時代、友達と「ワーキャー」し、毎日毎日楽しかったと思う。

でも、社会人になれば、会社で働くことがあたかも「当たり前」のように教育されていて、そのレールから外れることが「悪い」ことだと教えられる。

でも、「ワーキャー」した時代は楽しかったんです。

その楽しかった時代を、大人になったら体現して悪いって、チャンチャラおかしな話だと思いませんか?

誰が、決めたの?

誰の模範なの?

つまり、人生とは、楽しんだもの勝ちだし、自分の欲に対してまっすぐに生きることで満たされ楽しめるのです。

例え、その道が他人と違えど、自分が楽しめれば周りも楽しめる・・・学生時代そうだったじゃないですか?

くだらないことで笑い、くだらないことで楽しむ。

そんな毎日送りたくないですか?

そのためには何をしなければならないのか?

簡単な話じゃないですか?

・・・と私は言いたいのです。