藤哲也のことを考えていると、「今、何を思っているんだろう・・・」という瞬間が私にはある。

2週間に1度、選手日記というものが存在し、ある程度の「答え」みたいなものを内藤哲也は記してはいるのだが、それでも自分の中で「物足りなさ」を感じる時もあり「もっと細かく答えを教えてくれ!」という瞬間がある。

もちろん、新日本プロレスとして内藤哲也という「商品」を打ち出すときに、どんなマーケティングを用いるか考えるわけだが・・・

・・・ここまでの記事、

実は、今この瞬間に思いついたことではない。

ある「世界的有名人」の記事を購読して、内藤哲也の考えと似ているところがあるのでこのように記事を書いている。

その世界的有名人とは・・・

 

 

 

 

 

イチローである。

まずは、このインタビュー記事を読んでみてくれ。

www.huffingtonpost.jp

 

この記事を読んで内藤哲也の考え方に通ずると言いましょうか、イチローの考え方に似ていると言いましょうか。

要は、成功している人は皆このような考え方であることが再認識できる素晴らしいインタビュー記事であることは間違いないのでここに残しておこうと思う。

私が、非常に興味深いコメントだと思ったところはココ。

「聞かれてもいないことを自分から発信すると、瞬間的には伝わるかもしれないけど、心にまで響かない。興味深い点ですが、これが第三者をはさんで伝わると、まったく違うんです

「『イチローは今、何を思っているんだろう』と考えてもらう状態を作りたい。そのとき抱いている感情をその都度表現してしまうと、受け取る側の興味が、薄くなっていってしまう。ある程度、見る側に委ねる。そして答えは後に明かす。その距離感を保ちながら、ずっとやってきました」

これが第三者をはさんで伝わると、まったく違うんです

これは、今の私の状態にある。

このように記事を書き、このように内藤哲也のことを考えている時点で「第三者」になる。

また、私のように記事を書かなくともTwitterで今の思っていることをつぶやいたり、活字にしなくとも「思っている時点」で第三者になっているのである。

内藤哲也のTwitterは、毎回似たようなツイートが多い。

何となくだが、内藤哲也が何かしら仕掛けた場合でもTwitter上に「今思っていること」を絶対につぶやかない。

選手日記では、今思っていることを書いてはいるが、その表現方法と言いましょうか?言葉を選んで記しているように私には感じ取れる。

つまり、言葉を選んで記している日記に対して「第三者」はあれこれ考え、そして何かしらの媒体で公開する方が、「心まで響く」とイチローは言っている。

おこがましいが、私自身もイチローと同じ考えだ。

最後に。

昨日、WWEのYouTubeを見ていた。

WWEのYouTube登録者数は「約6,000万人」だ。

対して、新日本プロレスは「約40万人」。

天と地の差である。

もし、アントニオ猪木時代なら、YouTube登録者数はどれくらいになるのか?と「前田日明」にアントニオ猪木が闘魂ビンタを見ていて思ってしまった。