新日本プロレス、J5GのSANADAが内藤哲也がどれだけ煽ってもノーコメントを貫き通す理由を【深読み】したいと思います。
まぁ、【深読み】なんであしからず。
【深読み】SANADAがノーコメントの理由
まず、ファン目線で物事を考えるとしたら、
盛り上げろ!
今現在の新日本プロレス最高峰である「IWGP世界ヘビー級ベルト」を持っているんだから!
盛り上げろ!
2024年1月4日・東京ドーム大会のメインイベントに立つんだから
・・・ってことだと思います。
もちろん、私もそう思っていますし、
宿命だと思っています。
散々、内藤哲也が盛り上げてんだから、
チャンピオンのSANADAが盛り上げないのは
おかしいでしょ?
そんな感じ。
では、SANADA自身はどう思っているのか?
きっと、こう思っていると【深読み】します。
SANADAにとっての内藤哲也は、何もかもが優れていると思っていて、何を言っても突っ込まれるだろうし、ファンからも批判されるだろうからノーコメントにしよう・・・みたいな感じ。
SANADA自身は、メインイベントで勝利後、携帯のライト点灯後に「see you next time」って叫ぶじゃないですか?
あれも、きっと、内藤哲也の「デハポン」をそばで見ていて「かっこいいなぁ~」と思い、内藤哲也と被らないように考えたんだと思うんですが、SANADA自身の中で「パクっている」という感情がちょっとだけあるんだと思うんです。
ファン目線で考えれば、大したことはないんですが、SANADA自身の中で「パクっている」という感情が少しでもあると、卑屈になる。
また、内藤哲也のロープへ走り寝転んでロスインゴポーズも、ロープでくるっとSANADAも近いことやるじゃないですか?
これも、SANADA自身の中で「パクっている」という感情がどこかしらにあるから、なにも言えないんだろうと【深読み】出来るんです。
2024年1月4日の東京ドーム大会が決まってから記者会見をやったじゃないですか?
その時も、「価値を上げたい」と言っているでしょ?
これも、自分の価値が上がれば「パクっている」と言われることもなく、逆にSANADAをパクっていると言われるじゃないですか?
つまり、内藤哲也を常に意識し模範したことをSANADA自身が一番分かっていて、それをファンから見透かされたら「カッコ悪い」と考えているのです。
結局は、器の問題なのかもしれませんが・・・
でも・・・
人間ってそういう部分あるじゃないですか?
見透かされているのに見透かされているとは思いたくない・・・みたいな。
深く考えれば、内藤哲也も武藤敬司を模範しパクっているわけで、自身の価値を上げたから武藤敬司の「オマージュ」って言われなくなったという経緯を近くで見ていたSANADAが感じたんだろうと思う。
あと、J5Gに加入した時に、「本音」という言葉を使っていたとも思うんですが、これも環境を変えたところでファンの声はやっぱり届くわけで、自身の中で模範が引っ掛かっているのではないでしょうか?
これは、私のアドバイスになるんですが・・・
SANADA自身は、この模範に対して「価値」を上げれば払拭出来ると考えていると思うのですが、実際問題「価値」を上げるためには、失敗してもいいからコメントを発するべきなんですよね。
もちろん、失敗もするだろうし批判も浴びるだろうし、模範されていると見透かされるかもしれません。
それでも、「続ける」ことでしかファンの感情を動かすことは出来ないと思う。
なんとなく、SANADA自身は、こーゆう時って「内藤哲也」というワードを出したくないんですよね、それでいて、模範だと見透かされないように違う言葉を探すみたいな・・・
それは、本人しか分からないことだけど・・・
これ、
私自身も似たような経験があるから言ってるんですが・・・
始めて出世した時に、上司を真似るわけじゃないですか?
また、言動なんかも知らず知らずにパクっているわけじゃないですか?
それを部下から「何となく」言われ、そしたら「何となく」反抗心が芽生えたんですよね。
真似してない!みたいな。
それを「パクっている、模範している」と認め、発言していればよかったんですが、「隠したくなる」わけで、見透かされているのが分かっているんだけど、成績を出せばそう思われなくなる・・・価値を上げればね。
結局、どうなったかと言えば、私自身が見透かされていると「考えなくなった」。また、「パクっている、模範している」と考えることもなくなった。
そして、「尊敬している」と周りに言った。
自分の成績(価値)が上がるまでは、周りの目が「見透かされている」と感じていたんですが、仕事に没頭することでそんなことも忘れ、考えなくなり、悩まなくもなり・・・結局、今の自分の血に模範は「流れている」わけで。
正直、隠すって労力がかかり感情が知らず知らずに動かされるんですよね。
そして、めんどくさいんですよね。
だから、声高々に言ってみるというのもいいのかもしれません。
内藤哲也も武藤敬司の引退試合のインタビューで声高々に「ファンでした」と言ってましたよね?
でも、感じる印象は「嫌な感じ」ではなく、むしろ「ありがとう」に変わるだけで、武藤敬司本人も嬉しがっていたじゃないですか?
ファンからしたら「模範」というワードすら忘れているわけで。
まぁ、それだけ内藤哲也という人物の「価値」が上がったからだと思うですけど。
SANADAも価値が上がれば「模範」と思われなくなるだろうし、内藤哲也という呪縛から解放されるだろうし、ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポンというワードもファンから聞こえなくなると思うし。
今のEVILみたいに。
ちょっと、グダグダで何を書いているか分からないと思うのですが、最後まで読んで頂きありがとうございました。