プロレスに対する・・・
私の最大の喜びは・・・
内藤哲也が勝つことであり、ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポンの活躍であり、内藤哲也の手のひらで転がされることでした。
しかし、
今は違う。
きっと、自分自身
成長したんだと思っている。
もちろん、内藤哲也の活躍を
求めていないわけではないですよ。
- 感情移入したいし、
- 応援したいし、
- 想像して楽しみたいし。
けど、
その行為そのもの、
誰でも出来ますよね?
誰でも感じていますよね?
もちろん、そのものの行為こそ、求められているから需要が存在し、供給も存在するわけだし、その誰もが共感できる部分に乗っかることが出来ている「常識」が、社会と共存できている証拠でもあるし、全うだと思うし、別に否定する必要もないし・・・
でも、最近のこと。
私自身、そこに価値を抱かなくなったんです。
何と言いましょうか?
誰もが感じるであろう感情に反応することに対しての敗北感と言いましょうか?成長が限界を超えないと言いましょうか?大衆が望んでいる王道のストーリーを素直に受け入れている自分に納得がいかないというか?これでイイのか?
内藤哲也ファンって多いですよね?
また、プロレスはエンターテインメントなんで
我々ファンを楽しませてなんぼの世界ですよね?
共感が渦を巻いて派生して、その波に「素直」に乗っかることが出来れば楽しめるのがエンターテインメント。
時間を忘れ、感情移入できれば幸福度が増す。
内藤哲也のストーリー
東京ドームで大合唱。
・・・体感したいのは山々。
きっと、内藤哲也ファンは私と同じ考えのもとプロレスを楽しんでいるに違いない。
でも、今は違う。
私は素直に楽しめない自分が存在する。
何と言いましょうか?
逆張りではないですが、誰も感じることが出来ない感情といいましょうか?素直に受け取ることで見えない部分が存在する・・・そこを解明したいと思っている自分が存在するのです。
EVIL。
9割以上の人が「否定」し「批判」し、ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポン時代の方がよかったという。
また、反則三昧であることに対して、キャラだからしょうがない、社畜だからしょうがない、やらされている感が凄い、ディック東郷がいなければ何もできない・・・っといった意見が多い。
それが、
ファンの総意であり共感点でもある。
では、こんな風に考えたらどうでしょうか?
ファンの総意と「逆張り」を堂々とこなすEVILとは?
この問いに対して答えは・・・
- 仕事だから。
- キャラだから。
- 社畜だから。
・・・ですかね?
でも、そこにEVIL本人の気持ちや感情ってやっぱりあるんですよね。
なんとなく、EVIL。
ブレないと思いませんか?
堂々としている。
つまり、今、EVILがやっていることに対してEVIL本人が拒否していないというか?逆に勝機があるからやっていると考えることも出来るのです。
演技?
そう考えることも可能。
プロレスなんで演技と片付けることも可能。
しかし、演技でもそれを受け入れる「なにか」がなければどうしても、なんとなく辻褄が合わないような気がしてならない・・・
・・・と思ったわけですよ。
仮にIWGP世界王者が交換条件だったのであれば、それだけの価値はあるのかもしれないと捉えることも可能なんですが、それでも、今のEVILを見ていると「それだけじゃない」ような気がしてならないのです。
いや、
気がしてならないじゃないですね。
そうじゃないんです。
きっと。
レスラーが求めるところは
「頂」であり、ベルト。
そう考えれば・・・
「はい!終了」にとなるのですが、
私は、もうちょっと深読みしています。
答えは、その先にある。
EVILはそれだけ価値のあるレスラーであり、新日本プロレス側の評価はかなり高い思いますよ。
そして、EVIL本人もそれを受け入れているし、自信があるし、それ以上に自分自身の価値をファンがイメージしているより遥か上に存在していると自負しているでしょう。
考え方を変えれば、そのプロセスの中の一部に内藤哲也が存在し、ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポンで得た知識が存在する。
まぁ、この先はそのうち書きたいと思います。
では、ありがとうございました。